2015年08月14日

私の生きてきた道A

@の続き。

高校生活を終え、音楽大学へ進学。

さぁ、新しい生活がスタート!
と思いきや、おそらく、うつ病だったのかな?
気力がなく、引きこもり気味に。
なぜか?
今思えば、真面目すぎたのかな。
常に一番を目指すというのに疲れてしまったようでした。
必須科目のみ受けていたので、ギリギリ進級できましたが。

そのうち、カフェや居酒屋のバイトを始め、30万円貯めて、夏休みに国内旅行へ。
福岡→大阪→徳島→香川→岡山→大阪→東京。
知り合いを転々をしながら、美味しいものをひたすら食べ、ぼーっとしました。

友人達の支えもあり、大学2年になると気持ちも晴れ、心機一転!
単位もとらなければいけないので、朝から夜までずっと大学に。
新しい同世代の友人も出来、楽しい学生生活を送りました。

3年の夏、先生からの紹介で、ドイツのミュージックセミナーへ参加する事に。
セミナー後はオーストリアとドイツの観光。
英語もドイツ語もしゃべれないくせして、ホームスティをした経験があったので、
根拠のない自信により、ドイツは一人で観光。
美味しいものを食べまくり、知らない土地で新しい発見の嵐。
楽しかったな。

これにはまり、4年の夏には2つのセミナーにひっかけて、
イギリス→ドイツ→イタリア、約1ヶ月の旅をしてきました。
この時に、海外の文化に触れ、食・音楽ともに世界観が変わりました。
第3の味覚が育ったのだと思います。

大学を卒業してからは、バイトをしながら音楽を続ける生活を送りました。

まだ新人の為、ノーギャラや交通費をもらう程度の仕事ばかり。
それでも、すべてもらった依頼は受け、駆け回っていました。
まったく儲からないため、お金がなく、電気は止まる、ガスは止まる、カードは止まる、
このままではヤバいと焦り、早起きしてバイトを増やしました。

それでも、練習時間やリハーサル、ボランティアの演奏などをしていてなかなか思うように
お金は出来ず、食材は買えない為、
10日間じゃがいも生活や、ご飯だけ炊いて、
塩→ケチャップ→ソース→マヨネーズを毎回変えてかけたご飯を食べたり、
ひたすら、そうめんだけを食べたり。
そのうち、
口内炎と口角炎が止まらず、栄養不足でいつも眠く気力も減り、、、
でもバイトと音楽をしなければいけなかったので、
毎日偏頭痛と空腹、口の中の炎症、ストレスが続きました。

お肌はボロボロ、もちろん化粧水なんて変えず、顔も石鹸で洗ってましたし、
洋服も買えず、中学の頃の、くまさんプリントのトレーナーとか着ていました。
今だったら、ボンビーガールとか出れたのに 笑

そんな私を見かねて、年上の友人達が差し入れをしてくれたり、
食事をご馳走してくれたり、遊びにきてくれたり、いろいろ助けてくれました。

一人暮らしが怖すぎて、あまり家に帰りたくなくなり、友達宅へお世話になる事も。
これではまずいと思い、友人と共同で猫を飼い始めました。
今ではよきパートナーです。

バイトと音楽の生活をしばらく続けていましたが、
ストレスと今までの不摂生が祟って、ある日、歩けなくなるほどの腹痛で病院へ。
血液検査をしたら、
「炎症の数値が通常の20倍です」と言われ、すぐに大学病院へ。
救急車はたぶん高いだろうと思って、電車で自力で行きました。
30分の道のりが2時間かかったな・・・痛くて歩けなすぎて。
病院に着いたら車椅子に乗せられ、初めて自分の状態が悪いのだと気付きました。
検査の結果、大腸憩室炎という病気でした。
不摂生やストレスにより、大腸の中に毒素がたまり炎症を起こす病気です。
もちろん即入院。

入院中仕事が出来ない→収入がなく入院費払えない
しか考えてなかったです。
貯金しておいた5万円ももちろん使い切りました。

2週間入院と言われましたが、仕事しないとムリと言って、
絶食と点滴で1週間である程度良くなったので、退院してきました。

いつも美味しいものを食べたい意欲にかられていましたが、
体調が悪いと何も食べたくないんですね。
退院後も、
あんなに好きだったケーキを一口食べてはお腹が痛くなり、
すべて火を通してやわらかくしてから少量食べる事からスタート。

先生からは、
「野菜中心でバランスの良い食事をしなさい」と言われ、
今の経済力ではムリだと思い、演奏活動はお休み、教える仕事だけを残しバイトの嵐。
腱鞘炎もひどかった為、私に出来るバイトを探すのが大変でした。
いろいろバイトはしましたが、一番しんどかったのが、芸能プロダクションの仕事でした。
でも、この仕事のおかげで、コミュニケーション能力や新しい世界へ踏み出す勇気が高まりました。

バイトの甲斐あって、
29歳にして、やっと好きな化粧品や服も買え、美味しいお店にも行けるようになりました。
人並みの楽しみ方が出来る反面、やりたくないバイトをしている時間がとても苦痛でした。
ミルクレープ専門店で生地を焼く仕事をしていた時、
左手の腱鞘炎が悪化、それをかばい、右手も道連れに。
両手が震えてハシが持てないほどひどく、経過観察しながらバイトも細々する事に。

また貧乏な生活に戻ろうとしていた時、

料理人の友人が開催した料理教室をたまたまお手伝いする事に。
「料理を教えることが仕事になれば楽しそう」
ふと、そう思いました。

ただ、資格も経験もない私に出来るのだろうか、不安しかなかった為、
また新しいバイトをしながら考えていました。

そんな時、
「料理教えてよ!」
と、友人に言われて1人、2人と教えていたら、
あれよあれよという間に生徒さんが増え、
「これは看板を作らなくては!」と思い、
幸せな食卓〜マンツーマン料理教室〜を開設する事になりました。
すぐに思いついたこのネーミングは、おそらく私の理想の家族像なのでしょう。

美味しいご飯を作るお母さん、
家族みんなで囲む食卓。
幸せな家庭が増えればいいなと、単純にそう思いました。
その手助けが出来れば私も幸せだなと。

貧乏な生活をしてきた為節約メニューを考えられる事、
生徒さんの立場に立って料理に向き合える優しさと、
変な料理へのプライドがない事、
お世話好きな事、
音楽のレッスン業やバイトで得たコミュニケーション能力、
美味しいものを食べ、健康に元気に生活して欲しいという願い、
祖母から教えてもらったぬくもりのある食事の大切さ、
これが私の強みだと思いました。

つらい事の後には、いつも美味しい食べ物があり、
それを与えてくれる友人に救われ生きてきました。
これからは、食べ物(食材)に感謝し、友人への恩返しをし健康に幸せに生きていきたいです。

祖母をはじめ、家族、友人、ペット、
私に関わるすべての人へ、感謝の気持ちを持って、
仕事をしていきたいと思います。
私で力になれる事があれば、喜んでお引き受けします。
(最近では、なぜか人生相談が多い・・・)

そして、この話しをブログに書いた方がいいとアドバイスしてくれた友人へ、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとう。

こういう記事は、賛否両論あるかと思いますが、
私は書いて良かったと思います。

31歳のこれからは、楽しく、自分の心に正直に生きたいと思います!

長文読んでくださり、ありがとうございました。
posted by はやせ るみ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | はじめまして
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